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菅原山崇禅寺一文字天満宮の歴史
菅原山崇禅寺は1349年(貞和五年)御開山明峰素哲禅師(加賀 大乗寺3世、羽咋永光寺2世)によって建立されました。2世の住職時代を経て約三百年中絶していましたが、1648年(慶安元年)3世久外呑良大和尚(永光寺中興)によって現在の地に再興されると同時に、前田家縁の菅原道真公の尊像をお祀り一文字天満宮が建立されました。以後瓢箪町の天神様として2月25日(現在は3月25日)春の大祭、9月25日(現在は10月25日)秋の大祭はもちろん毎月25日には多くの参詣があり、金沢の祭りは、瓢箪町の春の天神様から始まり、瓢箪町の秋の天神様で終わると言われていました。
明治元年神仏混合を廃止させられたとき、聖観音像(平安時代の作)を前たてまつり、菅公の神像をお祀りしているのではなく、観音様を安置しているとして神仏分離の難をのがれたといわれています。また菅公尊像の上に細字にて観音経が書かれており難をのがれたとの説もあります。細字で書かれた観音経が離れてみると一文字に見えます。
現在の本堂は1612年(慶長17年)浄土宗のお寺心蓮社としてたてられ、
1637年(寛永14年)東山の現在の地に移り、後に崇禅寺となる。
境内には小野太三郎翁(小野陽風園の創設者)の碑、直江菱舟先生(江戸末期から明治にかけての教育者)の碑があります
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