一文字 天満宮

 菅原道真公(お天神様)をお祀りする天満宮です。

 江戸時代、加賀藩前田家の時代に金澤城下に25社建立された金澤25天神の一社で、永光寺(羽咋市)の住職久外呑良和尚(当山3世)が崇禅寺を現在の地に再興するのと同時に神仏習合の寺社として1648年(慶安元年)建立されました。以来瓢箪町の天神様として親しまれてきました。ご神体の普門品像は久外呑良和尚が前田家より賜ったものと伝わっています。妙法蓮華経観世音菩薩普門品という長いお経が、米粒に書くような細かい字で書かれており、離れて見るとお経の書かれている部分が漢数字の一の字に見えることから一文字天満宮と呼ばれています。お経の文字は菅原道真公直筆と伝わっています。

 その後明治維新の神仏分離や廃仏毀釈のお触れによって一文字天満宮が無くなりそうになりましたが、当時の住職の機転によって難を逃れ、現在も菅原山崇禅寺と一文字天満宮が当時の姿のまま続いています。

 明治元年神仏分離の令が出された時には、天満宮に共にお祀りしていた聖観世音菩薩像を正面に安置して、菅原道真公の御神像をお祀りしている天神堂ではなく、観音像をお祀りしている観音堂であるとして、神仏分離の令を逃れたと伝えられています。その屁理屈ともとれるような話が認められたのは、ご神像の上に観音経(お経)が書かれていたためではないかと想像されます。また、生前の菅原道真公が観音様を深く信仰されていたということも、現在この地に明治以降も変わらず天満宮が残るひとつの理由としてつながっているような気がします。

(金澤二十五天神)

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