ほとけは帝釈天に次のように説かれた。
「カーウシカよ、この般若波羅蜜は、男にもせよ女にもせよ、心のまだ目覚めておらない者のために、よく正しく解き明かされねばならない。なぜならば、カーウシカよ、未来の世においては、えせの般若波羅蜜が説かれることもあるであろう。男にもせよ女にもせよ、心のまだ見ざめていない者が、この上ない完全な心の目覚めに至ろうとして、このえせの般若波羅蜜を聞くようなことがあれば、かれらはあやまちに陥るであろうからである。」
帝釈天はほとけにおたずねした。
「世尊、そのえせの般若波羅蜜とはいかなるものでありましょうか。」
「カーウシカよ。未来の世において、比丘たちの中に、まことの般若波羅蜜を説こうとしながら、えせの般若波羅蜜を説くような者があるであろう。すなわち、『およそ物質的な存在にしても精神的な存在にしてもすべては滅び去るものである。それがすなわち、すべてのものが無常であるということなのである。もし人がすべてのものの無常性をこのように追求するであろうならば、その人は真に般若波羅蜜の上に立って、道を実践することになるであろう』というようにかれらが説くとするならば、それこそはえせの般若波羅蜜であると知らなければならぬ。実にカーウシカよ、およそ物質的な存在も精神的な存在もすべては滅び去るものである、ということがすなわち、すべてのものが無常であるということなのである、と理解してはならない。もしそのように考えるならば、それはえせの般若波羅蜜の上に立って、道を実践するということになるのである。
(小品般若波羅蜜経本文より)
我々人間はいつかは、死にゆく。故にこの世は無常であると理解してはならない。我々人間が生きる、この自然の世界が無常であるから、我々人間はいつかは死にゆくのであると理解し道を実践していかなければならない。
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